人生の価値なんて自分で決めんだよ

ごきげんよう。ヨコヨシですわよ。

 

突然ですが僕が一番尊敬している人物は誰かと言うと、フレディ・マーキュリーだということは周知の事実だと思います。

かの伝説のバンド、Queenのボーカルですね。

 

え?初めて聞いた?

それならこの期に知っておいてくださると少しくらいは嬉しいです。

 

彼の優れた歌唱力、パフォーマンス力、ピアノ演奏、作詞作曲能力は神懸かっているものがあり、それ故に没後32年以上が経つ今でも伝説として語り継がれている訳ですが、

 

僕が尊敬しているのは彼の"生き様"にあります。

 

個人的にフレディの自叙伝なんかを買ってしまうほどに影響を受けているんですが、

僕が思う彼の一番すごいところは、世間の潮流やありとあらゆる外聞、圧力、偏見、誹謗や中傷、スキャンダル、そういったものに一切屈することなく、自分の信じるものを信じ抜く生き方を貫いた点に尽きると考えています。

少し前ですが、「ボヘミアン・ラプソディ」という映画、大ヒットしましたよね。

Queenファン、フレディ信者としては本当に嬉しく、僕自身も劇場に8回は足を運びました。

 

映画を観た人なら知っていると思いますが、彼は純英国人ではなく、アフリカのザンジバルでインド系の両親の下に生まれ、英国に渡ったという経歴を持ちます。

その時点で当時の英国では(今でも根深いかもしれませんが)、差別の対象であったことは言うまでもありません。

またQueenを結成した直後から数々の名曲を生み出していったにも関わらず、当時のマスメディアや音楽評論家からは酷評され続け、鳴かず飛ばずだった時期も折れることなく、Queenとしての美学を追求し続けたのでした。

その結果、名曲「Killer Queen」のヒットと共に世界を股にかける一大バンドになっていくわけです。

 

 

フレディが同性愛者であったこともまた有名な話なのですが、当時の世界は今とは比べ物にならないほどに同性愛に対する偏見は強烈なものでした。

また彼の命を奪う要因となったエイズが同性愛者の間で流行っていた事実も偏見に拍車をかけていました。

フレディはゲイだ。

そんな風にゴシップを書かれ、好奇と非難の目が寄せられても、

彼は性的趣向を隠そうとはしなかった。

あの特徴的な口髭を蓄えて逆アピールまでする始末でした。

 

他人の評価がなんだ。世間の目がなんだ。

自分の生き方は自分で決める。

そんな生き様こそが希代の大スター、フレディの魅力であると勝手ながら思っています。

 

さて、そんな彼が自身のエイズ罹患を知り、先が長くないことを知った頃に作った名曲があるのですが、

この曲、Queenのベストアルバム全般には一切収録されていません。なんでなんや。知名度低すぎるねん。

 

それがこちら。↓

 

 

曲名は「Was It All Worth It(邦題:素晴らしきロックンロール・ライフ)」と言います。

6分くらいある曲なんだけども、ここまで読んでくれてる貴方には是非一度聴いてほしい。

あ、自動で設定されてるかもしれないけど日本語字幕をONにして見てね。和訳された歌詞が表示されるから。

 

これまでのQueenとしてのキャリアを振り返るかのようなmvになってて、オタクとしてはただただエモいなぁ…と思うんだけども、言いたいのはそこじゃないんだ。歌詞なんだよ歌詞。マジで聴いて。

 

僕は人生で迷った時、いつもこの曲を聴いて決断する勇気をもらっています。

人生の最期、「Was it all worth it?」と問いかけたくなる自分自身に

「It was worth it!」と勢いよく答えて

笑ってあの世に逝けるように、

悔いのない選択をしたいと思います。

 

大それたタイトル付けて長々と語って、やりたかったことはこの曲の紹介だったのでした。

興味本位で読んでくれた人、なんだかすまんね。

 

とりあえず明日の朝後悔しないように、早めに寝ることから始めようか。

 

おやすみなさい。良い夢を。

全プリキュア展振り返り

プリキュア20周年ライブという最後のイベントも2024年の年明け早々に終わり、ようやく「20周年」という祭典も幕を閉じたように思う。

 

 

ライブは本当に最高という言葉では語り尽くせない程の、夢のような時間だった。

キショ=オタクとしてはもちろん、15周年の時のように各プリキュアのキャラソンまで聴きたかったのは勿論だったのだが、そんなことをしたら時間がいくらあっても足りなくなってしまうのは分かりきっているので、何も言うまい。

いつかまた、声優さんのスケジュールを合わせて、キャラソンオンリーのイベントでもやってくれたら最高である。

 

さて、全プリキュア展の話に移るが、池袋→大阪→横浜と開催された中で、自分は池袋と横浜に足を運んだ。池袋4回、横浜3回といった感じである。

大阪にも行きたい気持ちはあったのだが、展示内容的に池袋とほぼ変わらないということだったので見送らせて頂いた。

 

会場に入って最初に目に入ってきたのは、20周年用に新規で書き下ろされたプリキュアたちのイラスト(一部を除いて担当声優さんのサイン付き)である。

 

 

枚数が多すぎるのでここでは初代の2人に代表して出てきてもらうが、こんなイメージで78人分(横浜会場時点で)あったのだから圧巻だった。

声優さんたちが今もプリキュアに対して思いを寄せてくれているのが、ファンとしては何よりも嬉しいのである。

 

しかし新規絵、どのキャラも本当に顔が良い。

このイラストでアクスタやらグッズやら作ったら金が消し飛ぶぞ…とか思ってたら当然作られてたので消し飛ばされて終わりました。

 

続いて、各シリーズの設定画が展示されているブース。これが18作品分(横浜会場時点)ちゃんとあり、それぞれのシリーズの特色が反映されたブースになっていて(分かりやすいところで説明すると、プリキュア5(GoGo)は蝶が飛んでいる、スマイルプリキュアは図書館モチーフ、プリンセスプリキュアはシャンデリアがある、スタートゥインクルは宇宙(夜空)になっているなど)、オタクはニヤリとしてしまう作りになっていた。

池袋会場の際はひろがるスカイは発表されたばかりであり、

↑こんな感じでスカイとプリズムがいるだけだったのだが、横浜会場ではちゃんと各キャラの設定画が展示されていた。(写真は割愛)

 

 

池袋会場で一番衝撃を受けたのは↓だったと記憶している。

 

 

なんか歴代主人公全員いて、改めて20年分の思い出が強く甦った。ここに来れた自分は何と幸せなのだろうと、心から思った。

 

横浜でとんでもないバージョンアップを見せられるとも知らずに。

 

 

お分かり頂けるだろうか。

写真がやや小さく申し訳ないが、なんと全シリーズの全プリキュアがそこにいた。

圧倒的な光景だった。

溜め息が漏れた。

 

その後は歴代の敵キャラシリーズ展示。

全部貼ってるとキリがないので、社員の顔面偏差値がやたら高いことに定評のあるブラック企業、クライアス社の方々に来てもらいましょうか。(HUGっとプリキュアより)

 

その後は前にTwitterでも出したけど、オタクが死ぬ前に見る走馬灯エリア。

 

78人分の変身シーンが同時に映ってる+中心の大きい画面に78人がシリーズ順登場順に交代で映る(音付き)というコーナー。

全員分大きい画面で見ようとしてると余裕で2時間くらい経ってる。夢のような恐ろしい時間食いエリア。座って見てる人もたくさんいた。僕もだけど。

 

あとは物販コーナーがあり、日替わりのグリーティングエリアがあり…

とにかく楽しかった。というより幸せだった。

これまでの人生と、自分の「好き」を最大限に肯定してもらえたような気がして、本当に嬉しかった。

 

改めて、一緒に足を運んでくれた友人たち、ありがとう。

心の支えになり続けてくれたプリキュア、ありがとう。

東映アニメーションの方々、ありがとう。

 

21年目以降もよろしくお願いします。

わんだふる~~

第3の原動力

人に行動を起こさせる動力となる要素は、たった2つしかないと言われることがあります。

 

利益を得ようとする欲望

 

損しては困るという恐怖心

 

だそうです。

 

たしかに過去の自分の行動を振り返ってみると、その理由の全てはこの2つに分類できるような気がします。

この法則…とも呼べるような言葉は正しいように思えたこともありました。

 

何故突然こんなことを言い出しているのかといえば、「果たして人は損得勘定でしか行動を起こさないのか?」という命題への疑問提起、および解答を自分なりにしたくなったのです。

 

結論から述べさせてもらえば、自分としての考えはNOです。

人間以外の動物においてはただひたすらに生存本能の赴くままに生きているのでしょうから、この法則は当てはまるのかもしれません。

自分は動物になったこともないし、転生したこともないし、前世占いだと鳥だったらしいですが、鳥類時代の記憶も残ってないので動物には失礼かもしれませんが。

 

しかし、こと人間という種においては高度な知能を有するが故、この法則は成り立つのか疑問でしかないのです。

と言うより、自分自身のここ最近の行動原理において、欲望でも恐怖でもない第3の原動力があると信じるに至ったのでした。

 

それは「信念」と呼ぶべきものです。

英語でも"Belief"と明確に訳される概念ですが、「ある事柄について揺らぐことのない考え、確信をもつこと」であるとWikipediaでも説明が為されています。

 

もちろん全ての人が信念に従って生きている訳ではないでしょうが、これだけは譲れないという矜持のようなものは誰しもあるのではないでしょうか。

平たく言い換えればこだわりとも呼べるものかもしれません。

 

その中には損得勘定など一切抜きにしたものもあると思います。

それも「こだわりたい」という"欲望"の果ての概念なんじゃないのかと言う意見も飛んできそうですが、そもそも人は1つの理由で動くのではありません。

様々な複合的な思考が絡み合った結果として生まれるのが行動であり、恐怖と欲望と信念は三位一体、それらのパラメーターが高い低いの差はありますが、それによって最終的な行動理由が決定する…のだと個人的に考えました。

 

ダラダラと謎に語ってしまいましたが、この「信念」の要素が人の心を強くしてくれると思います。

 

自分を強く持たせ続けてくれると、信じています。

 

信念を持って僕は自分を変える覚悟の下、行動を起こしています。

 

あなたの中に信念はあったりしますか?

 

僕の信念は…

 

カッコつけて書こうとしましたが、一言で説明できるようなものじゃありませんでした。

 

みんなが笑って暮らせる世界が来ればいいな。

自己開示

ごきげんよう。ナイストゥミーチュー、コマンタレブー。

ヨコヨシでございます。

 

自他共に認める(?)、ノリと勢いと少しばかりの思慮で生きている僕という人間が

ノリと勢いだけでブログという媒体に手をつけ始めました。

この令和6年という時代に。

 

さて、タイトルに「自己開示」なんつー言葉を使ってしまってますが、ブログやってみるのも悪くないかなと思った理由の1つとして、Twitter(X)に流したら確実に疎まれるであろう自分語りや、徹頭徹尾自己満足でしかない趣味トークをやるのに最適なのかもしれない…と考えたというのがあります。

そもそも僕という人間は自分自身の情報を他者にさらけ出すことに、非常に抵抗感を持つ人間だったのでありました。

 

え?そんなことないだろって?

ペラペラペラペラよく喋るじゃないかって?

そう思ってくれているのなら、それは貴方が僕のことを受け入れようと頑張ってくれている証拠なのだと思います。

僕が貴方に程よく甘えることができている、ということでもありましょう。

 

今でこそ、この社会の懐(ふところ)はそこまで狭くない、仲間や同志と呼べる人達はいくらでも存在するのだという事実を理解できているので、セルフ開示に対する抵抗感も薄れてきました。

 

しかし人の趣味、思想、信条というものはそれこそ人の数だけ存在しますし、1つの考えには当然、相反する考えがまたある…というのも事実なのです。人それぞれ、送ってきた人生は違います。残酷なまでにこの世界は広いのでした。

 

僕自身、中高一貫男子校というニッチな環境で育ってきたこともあり、大学時代の人とのコミュニケーションは本当に苦労した記憶があります。人格形成期において180度違う環境に身を置いていた訳ですから当然なのですが、まだ若かった頃の僕は戸惑いしかありませんでした。

中高で通用していたコミュニケーションはマトモに通用せず、

今まで受け入れられていた趣味、思想は理解されず、

時には容赦なく否定され、傷つき、

女性との距離感もいまいち掴めず。(関係ないか)

 

一部には僕と似たような波長を持つ人もいてくれたので、友人になることができましたが、

この頃の僕は他人に自分の情報を話すことを極度に恐れていたように思えます。

話したところでどうせ理解されない。

最終的には自分が傷付くだけだと。

 

気を許せたのはTwitterで知り合ったオタク仲間のフォロワー達だけでした。

プロフィールを読めば同じものが好きな人なんだと一発で分かりますし、初手のコミュニケーションから同じ釜の飯を食えるというか、とにかくとてつもない安心感がありました。

フォロワーがフォロワーを呼び、輪が拡がっていくのが楽しかった。

 

日常の寂しさを紛らわすかのようにオフ会やオンリーイベントに参加しまくり、孤独から逃げるように生きていました。

自分の考えや趣味を受け入れてくれる、そんな空間の貴重さをかつてないくらい感じていました。

ここ数年行けていませんが、コミケが好きで毎回のように全日参加してた理由もそれですね。

 

本名も知らない親友ばかりが増えていきましたが、これは決して間違いではなかったと今でも思っています。

生涯の友となってくれるような人達にも出会えたので。

 

Twitterだけは僕の味方であり、何でも受容してくれると妄信していたように思えます。

 

知ってる人は知っているかもしれませんが、僕は数年前まで、Twitter上で度々炎上したり、不特定多数から罵詈雑言を浴びせられるなどすることがありました。

 

「世間でこう言われているが自分はこう思う」ということを素直に発信しただけだったのですが、相反する考えを持った、フォロワーですらない人達からの集中砲火を食らうことも多かったんです。

まぁそれだけなら良かったのですが、僕のツイートのリプ欄で、僕の意見に賛同してくれる人と反対する人とでの二次戦争の火蓋が切られまくってしまい、人同士の争い事を極端に嫌う僕としては精神を磨り減らしていました。

 

そうなることくらい予想できなかったのか、という意見もあるでしょうが、僕にとってのTwitterは「気の合う仲間内に聞こえるような小声で、独り言を呟くための道具」という認識でしかなく、社会全体に喧嘩を売ったあげくに他者同士の代理戦争を起こさせるもの、などという考えは一切なかったのです。

 

こうしたことがあってから、先の自己開示恐怖症のようなものがやや再燃してしまった感もあり、

当たり障りない趣味の話や、良いと思ったコンテンツを称賛する投稿はしても、

波風を立てるような批判的な投稿や、議論を呼んでしまいかねない長文のお気持ち投稿などはめっきり控えるようになりました。

それが正しいのか間違いなのかは別として。

 

…ちょっと重苦しい話になってしまった感がありますが、とどのつまり好きなことを好きなように書くにはこのブログとかいう媒体、ちょうどよくね?と思っただけのことです。

1000人中2人くらいの物好きが読んでくれればそれでいいかな、くらいのマインドでやることにします。

 

僕という人間が何を考えて生きているのか、

知ってもらうヒントにはなるかもしれません。

 

「何を考えているのか分からなくて不安になる」

こう言い残されて終わる人間関係はもう二度とごめんなのでありました。

 

これからよろしくお願いしますね。